坐禅
禅とは
「佛道をならふというは、自己をならふなり。自己をならふというは、自己をわするるなり。自己をわするるというは、萬法に証せらるるなり。萬法に証せらるるというは、自己の身心、および他己の身心をして脱落せしむるなり。正法眼蔵現成公案:道元禅師著」
「心をもてはかることなかれ、言葉をもていふことなかれ。ただわが身をも心をも、はなちわすれて、佛のいへになげいれて、佛のかたよりおこなわれて、これにしたがおもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをもついやさずして、生死をはなれ佛となる。正法眼蔵生死」
「心をもてはかることなかれ、言葉をもていふことなかれ。ただわが身をも心をも、はなちわすれて、佛のいへになげいれて、佛のかたよりおこなわれて、これにしたがおもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをもついやさずして、生死をはなれ佛となる。正法眼蔵生死」
私たちは、日々刻々、すでに過ぎ去ってしまった過去に囚われ、まだ来ぬ未来に不安を抱き、特に情報化社会といわれる現代においては大量に流れ出てくる情報に振り回されて過ごしています。
道元禅師の遺された言葉は、少々難解かもしれませんが、何度も何度も読み返すうちに皆さんの身心に何かをもたらしてくれるものと確信をしています。
今、世界中で広がる『禅・坐禅』の風は、時代・国境・宗教を越えて注目をされています。科学技術の目覚ましい発展により、確かに我々人類は豊かさと便利さと快適さを手に入れることができました。それにも拘らず、多くの人々が日々焦燥感と不安感に苛まれています。
だからこそ、自己にはじまり、自己をはなれ、自己に帰って行く、禅の教え・生き方に大いなるヒントがあると感じる人が世界的に増えてきているのではと思います。
道元禅師の遺された言葉は、少々難解かもしれませんが、何度も何度も読み返すうちに皆さんの身心に何かをもたらしてくれるものと確信をしています。
今、世界中で広がる『禅・坐禅』の風は、時代・国境・宗教を越えて注目をされています。科学技術の目覚ましい発展により、確かに我々人類は豊かさと便利さと快適さを手に入れることができました。それにも拘らず、多くの人々が日々焦燥感と不安感に苛まれています。
だからこそ、自己にはじまり、自己をはなれ、自己に帰って行く、禅の教え・生き方に大いなるヒントがあると感じる人が世界的に増えてきているのではと思います。
参禅会
ご経験のある方も、初めての方も、お気軽に坐りにおいでください。
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